コラム

【月刊マークブログ:2024年3月号】友人の死

突然の訃報だった。

2年前からとある病気で闘病している十数年来の友人がいたのだが、1月5日、仕事中に連絡が携帯に入った。

ショックだった。こんなブログに何を書いても陳腐な文章になってしまうかもしれないけど、やっとブログを更新してみようという気持ちになったので、その気持ちには正直でありたいので、少し書いてみます。

彼とは転職前の会社で知り合った後輩。とはいえ、ほぼ年も同じで気が良くあった。

自分とはタイプは違うものの、彼のストイックさ、ちょっと冗談言いながら前向きに仕事する姿が僕は好きだった。

仕事以外でもよくやり取りした。僕自身がベタベタした友人関係を築く人じゃないこともあるけど、それでもお互いの環境が変わっても年に2回程度は会うくらい、お互い一緒にいて心許せる間柄だったんだと思う。

彼が2年前に病気になった時、病院から電話かけてくれた。一時は生死を彷徨うくらい重かったので、本当に驚くとともに、今電話できていることに感謝し、「生きててくれてありがとう」って言った覚えがある。

彼も電話口で泣いていた。人前で泣くようなやつじゃないのだが、相当辛かったんだと思う。

退院後、もう一人、彼の親友がいるのだが、そいつと3人で再開した。

涙なしにはない再開だった。

彼は入院前よりも饒舌になっていた。

そこではこの病気とは一生付き合っていくしかないこと、薬が合えば死に至る発作は起きないことを聞いた。

かなり痩せていたが、元の生活に戻ろうという意志を感じたし、努力している姿を見て、希望を抱いた。

それから一度うちに招いて、一緒にご飯を食べた。その時は「薬があっている」と。

だから安心してしまった。そのうち前みたいな生活ができるんじゃないか、そんなふうに勘違いしてしまった。

でも現実は甘かった。

彼は発作そのものじゃなく、それに起因することであっけなく亡くなってしまった。

奥さんと小さい子供二人を残して。

お通夜で見た彼の顔は退院後に会った時より遥かにふっくらしており、かなり元の生活を送れていたんだろうということを推測できた。

おそらく、自分が死ぬなんて思わず、意識なく苦しまずに逝けたんだと思う。

顔を見ながら、長いこと友達でいてくれたことに感謝を言葉で伝えた。

未だに何かのギャグなんじゃないかと思うことがある。

40代前半であっけなく死んでしまうなんて。もう会えないなんて。冗談を言い合うこともできないなんて。悲しすぎる。

本当にあっけない。

自分も40代になり、何があってもおかしくない年代に入ったことを改めて認識するとともに、一日一日を大切に、自分を大事に生きないといけないと強く思った。

これまで身近な人の死は祖父や祖母や会社のかなり上の上司くらいだったので、あまり死というものについて考えたことはなかったが、今回本当に色々突きつけられた。

自分は今のところ健康体だが、全員いつ何があってもおかしくない。仕事ばっかりになってしまうけど、やっぱりそれだけじゃだめだ。

一月・二月は塞ぎ込んでいて、ブログの存在を忘れるくらい疲れてしまっていた。

特に、同時並行で自分の異動話が降って湧いてしまい、一月に引き継ぎ、二月から新しい部署で奮闘することになっているので、とてもじゃないけどブログどころじゃなかった。

やっと文章書けるくらいメンタルが落ち着いてきたので、またちょっとずつ記事を書いていきたい。

駄文で申し訳なかったですが、当ブログにまたお付き合いください。

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